+++++++++++++++++++++
「こんにちはー。在原先生はご在宅でしょうか?」
インターホンが鳴った後、聞き逃しそうなほどに軽いノックの音が、玄関から声と一緒に届けられる。
迷子の迷子のガーディアン
時計を見るとちょうどいつも起きるぐらいの時間帯を示す針。
折角の休みだからもう少し…と、眠りに引き込みそうになる睡魔は数秒間の格闘で倒し。
「……はーい、どちらさん…?」
がしがしと頭を掻いて、零れそうになる欠伸を噛み消しながら玄関の扉を開いた。
立っていたのは柔和な顔の長身の男。
「…あれ、橘サン。……どうしたんです? こんな時間から…」
「あぁ、在原先生。おはようございます。……――あぁ、間違えました」
「……は?」
いきなりの間違えた発言に、眉を顰める。
まさか訪問先と人んちを間違えたなんて事はないだろーなと思うも、断言出来ないのがこの人で。
自宅と間違えたらしい相手とベランダで遭遇したのは記憶に新しい。
“鍵を変えられてしまったのかと思いました”――なんて言われて脱力したっけ。
……まずどーやって登ったんだ!! つーのは、怖くて訊けなかったけど。
「いえ、……“こんにちは”にはまだ早かったなぁと思いまして。おはようございます、ですねぇ」
「……そう、ですね。…オハヨウゴザイマス、橘サン」
「はい。おはようございます、在原先生」
合計3回朝の挨拶を繰り返した相手は、ヘラーッとした笑顔を浮かべての会釈。
先に会釈していた俺は、このままだと4回目の挨拶を聞きかねないと危惧して話を先に進める事にした。
「――そ、れで、今日はどうしたんですか? 何かありましたっけ?」
「……あぁ、そうでした」
ポンと手を打つ相手がキョトンとした数秒間、…ちょっとだけ緊張したのは内緒だ。
「いえ、行事的なものはなかったと思いますけど……。先生に何か御用があるのでしたら、また日を改めますから大丈夫ですよ?」
「あー……いや、別になかったと思うんで大丈夫です。――何です?」
「あ、えーとですねぇ……。大変申し上げ難いのですが、実は昨日の昼ぐらいからマリアが行方不明でして」
「…………――ハ!?」
「もし在原先生がお手隙でしたら、探すのを手伝ってもらえないかなぁと――」
なんて、ちょっと眉尻が下がっただけのフンワリ顔、且つ全然変わらない調子で言うもんだから。
理解するのに少し時間がかかってしまった。
「え、マリアちゃんって……“食事の時間はきちんと守る”、“2時間以上の単独外出はナシ”、何より、“橘サンが呼んだらすぐ跳んで来る”――(って橘サンが時々惚気てる)――…の、猫のマリアちゃんですよね?」
「えぇ、そのマリアです」
「……――って、ちょっ、もうすぐ丸一日経つじゃないですか!」
「…そうなんですよねぇ……。昨日から探してはいるのですが……」
相手が溜息を吐いているのに、いまいち危機感を覚えない錯覚に囚われるのは俺の所為じゃない。絶対!
…つーか、日を改めるとか言ってたのはどこのドナタですか、橘サン!!
「――わかりました。俺で手伝えるかわかりませんけど、準備してきます」
「…本当ですか? いやぁ、助かります」
「じゃあちょっと待っててくださ――…あー、今部屋散らかってるんで、…悪いですけど玄関の中で待っててもらえます? “何処にも行かないで、中で”」
「? あ、えぇ…。……別に、外でも僕は構いませんよ?」
「いえ、中で! 此処で待っててください! 絶対!」
キョトンとしながらも“わかりました”と頷いた相手を招き入れ、玄関に鍵とチェーンを厳重にかけた。
立ちっぱなしで放置ってのは正直申し訳ないけど、外に独りで残しておくなんて……探しモノが増えちまう!
習字道具の散らかっている部屋を横目に、急いで着替えやら洗面やらを済ませて玄関に駆け戻った。
その間数分。我ながら尽力したと思う。
当然ながら相手はそのままの状態で待ってくれていて、……あぁ、鍵辺りをジーッと見てたみたいだからもう少し遅かったら危なかった……かも?
「おや、在原先生。…早いですねぇ…」
「ですかね? と、お待たせしました。さ、行きましょう」
「はい、お願いします」
――――この後、まずマリアちゃんがいなくなったという現場に中々辿り着けなかったのは……まぁ、言うまでもない事だと思う。
「――で、この公園ですか? マリアちゃんと散歩してたのって」
「えぇ、此処です。……比較的家と近いのか、よく辿り着けていましたからね」
「……あ、あぁ、なるほど…」
…つーか、辿り着けなかった時もあるのかよ…。
ツッコミたい気持ちを堪えて堪えて。
来るまでに聞いた話だと、昨日、マリアちゃんを連れた橘サンが朝食後の散歩から延長を余儀なくされた昼飯前の散歩中、隣を歩いていたマリアちゃんに小さい子が突撃。
蹴飛ばされたり、連れてかれたりしたわけじゃなくて、単に急に触られそうになったから驚いて逃げちまったんだと。
……まぁ、そのまま帰って来なかったってのは心配だけど。
「……俺だけじゃなかったんだなぁ」
「……? 何がですか?」
「え、あぁ、いや、何でも」
「……?」
自分は逃げられるまではなかったからと、安堵しかけた内容は流して苦笑い。
二手に分かれるのも怖い気がしたので、今はお互いが見える範囲で茂みやら木の上やらを捜索中。
マリアちゃんに関して、前に職員室で逢った時すっげェ警戒されたのを覚えている身としては、出て来てくれるかどうか。
あの時の指遊び程度で懐いてくれた――とはあんまり思えない。
……まぁ、もう慣れたけど。
「…あれ、確かマリアちゃんって鈴つけてましたよね? 首に小さめの」
「あ、ハイ。昨日もつけていたので……そうですね、近くにいれば聞こえるはずですよねぇ…」
……つー事はもう公園を出て何処かへ――?
返答に少し考え込んだ後、“場所を変えてみましょうか”と俺は提案してみた。
作案は却下される事もなく、自宅までの道程を歩いてみる事に決定。
「ちなみに、マリアちゃんは此処から家までの道って知ってるんですよね?」
「えぇ…あまりに遅くなってしまった時は、道案内してくれますからねぇ」
「…そ、そうなんですか……え、偉いんですね、マリアちゃん…」
「はい、…とても」
――お……親バカ……。
失礼だけど、ニッコニコして頷く橘サンはそうとしか表現出来なかった。
結構天気のいい休日、男二人で仲良く散歩…なんて物悲しい現実に、(幻覚的な意味で)花を飛ばしてる気がするよ、この人は…。
相当可愛がってんだろーな、マリアちゃんの事。
ただ、忘れていたわけじゃないんだろうけど、思い出させてしまったらしくシュンとして。
「マリア……怪我をしていないといいんですけど……」
などと気弱な発言が飛び出した。
いや、勢いは弱く“零れ落ちた”の方が近いか。
俺より10cmぐらいデカイ相手がそう易々と小さくは見えないけど、何というか…普段よりも猫背になっている感じで。
「――だ、大丈夫ですよ、ホラ。
マリアちゃん、そういう危険には察知して近付かない感じするじゃないですか。ネ?」
「…そう、だといいんですが…」
「そうですって。何より、橘サンが哀しむような事しませんって」
偉そうな事は言えない立場の俺でも、励ますぐらいは頑張って。
一生懸命選んだ言葉は、橘サンの沈んだ顔を苦笑にまで浮上させる事に成功した。
その時。
“ チリン ”
鈴の音が聞こえた気がして瞬きをする。
「…橘サン、今…」
「…えぇ、鈴の音が…」
視線を交わし、ほぼ同時に音源を探し始める。
進行方向から聞こえた気がして、僅かな差で橘サンが先に走り出した。
十字路で足を止め、二人して左右を見回し――
「――あ!」
今、先の角を曲がった小さな人影が何かを抱えていた気がする。
確証が持てない段階だったからか、声をかけるのを忘れて。
今度は俺が先に向かう。
嫌な予感がしたわけじゃない。
……わけじゃない、けど…………あぁ、俺ちょっと運動不足かもしれねーな。
「…お、お前達……そこで何してるんだ?」
「……何だよ。おじさん誰?」
「おっ――……俺の事はいいだろ。いいから、そこ…に……」
狭い空き地に小学生ぐらいの数人の男子が集まっていて、不意に放たれたジャブはちょっとしたショックだったけれど。
ソレは脇に置いて、奥へと細めた両目をすぐにまた開いた。
彼らの足元の隙間から、薄汚れた猫の尻尾みたいなモノが見えていて――全く動かない、ソレ。
地面に横たわっているのか…倒れているのか。
後ろから、追いついて来たらしい人の足音が止まった時、俺はハッとした。
「た、橘サン――」
「…君達、そこで何をしているんですか?」
言葉がかけられなかった。
いつも通りの、柔らかいちょっと間延びしたような声で、同じくにこやかな顔で横を通り過ぎて行った橘サン。
さっきまで丸まっていた背中がシャンと伸びて、至極……いつも通り……。
俺には怪訝そうな顔をしていた子ども達も、ゆっくりとした歩調を止めない相手に視線が釘付けで。
「ちょ、ちょっと遊んでただけだけど? …おじさん達、何か用?」
「えぇ。……あぁ、大した事じゃないんですけれどね? …そこにある“モノ”を、僕に譲ってくれませんかねぇ?」
「……橘、サン……」
「……何、おじさん“こんなモノ”欲しいの? ……変なのー」
「はい。……出来れば、僕が眼鏡を外す前に……どいてくれませんか?」
……最後のは脅し文句なのか何なのか、ちょっと意味のわからない事を告げているけれど。
後姿しか見えない今でも、きっと変わらず力の抜けるような笑みを浮かべているんだろう。
俺は口許を手で覆って、その姿を見つめる事しか出来ない。
「……い、行こうぜ。 フンッ、変なのー」
子ども達は口々に言うと走り去って、空き地には大人二人が残された。
歩み寄り、しゃがんだ橘サンは……一度眼鏡を外してかけ直すと……動かない“ソレ”に手を伸ばす。
優しく毛並みを撫でる手に、冷たさや色々が伝わっているんじゃないかとか、今何を考えているんだろうかとか……。
「――た、橘サン!」
「……はい?」
「――――っ」
やっぱり予想通りの笑顔で振り返った相手。
ゆっくりと歩み寄った俺は、肩越しにその光景を目にして――――
「……………………………………………………は?」
固まった。
震える人差し指で指し示して、
「た、橘サン…………そ、それって猫の……」
「――ぬいぐるみです。……いやぁ、最近は結構リアルに出来ているんですねぇ……」
可愛いと表情を綻ばせている相手の背後で、俺の顔は盛大に引き攣った。
地面に落ちていたからか、泥だらけの猫のぬいぐるみ。
よく見れば毛並みも元は白だったんじゃないかと思わせるモノで、……考えてみればマリアちゃんは灰色だ。
「在原先生も可愛いと思いませんか、コレ?」
「…………――――ハーーーーーーーーッ」
「……?」
一気に脱力した俺は、その場にしゃがみ込んで頭を抱えた。
だってそうだろ、早とちりの勘違いで、本物と偽物の区別さえつかないってドーヨ!?
……あ、何か恥ずかしくなってきた……。
「……橘サン、ソレ譲ってくれとか言ってましたけど……もらってどうするんです?」
「? それは勿論、綺麗にしてマリアのお友達に、と思いまして。……捨てられたままというのは、…可哀想ですからねぇ…」
「…………あの、ちなみにさっきの“眼鏡を外す前に”っていうのは……?」
「え? それは――…何だか少し目が痒くなってしまって。
でも、それで眼鏡を外したら子ども達が見えなくなるじゃないですか。
…ぶつかってしまったら大変だなぁと」
「……………………」
コレも絶句って言うんだろうな、的状況。
当然っつー顔で言われたら…俺に何を言えと!
空き地を後にして、戦利品を一つ増やした俺達は引き続きマリアちゃん探しを再開。
道を戻って、橘サンの自宅までの道を辿る。
あぁ、さっきの音の正体はこのぬいぐるみだったらしく、首輪に小さな鈴がついていた。
子どもが抱えて走ってたら…まぁ、そりゃ音はするわな。
探す邪魔になるからって橘サンは鈴を握ってくれてるけど、……何か下手すりゃ猫の首絞めてるように見えんだけど。
――あぁ、そうだ。
「…それにしても、橘サンよくわかりましたね。そのぬいぐるみがマリアちゃんじゃないって」
笑顔が引き攣らないように気をつけながら、自分はどうだったかは秘密にして尋ねてみた。
違うとわかった今でも、一瞬だけ見れば本物に見間違えそうな毛の作り。
夜中に目が光ってたら…とか思うのは俺だけか……?
「え? あぁ。
……だって、在原先生が言ってくれたんじゃありませんか。
――“マリアは僕が哀しむような事はしない”って。 ……ネ?」
キョトリとした橘サンは、楽しそうにクスリと笑ってそう言った。
……またしても俺は、何も言えなくなっちまって。
――――結局そのまま橘サン宅に辿り着き、猫じゃらし持ってもう一度公園まで行こうかという流れになって。
階段を上った所で、玄関前から猛ダッシュしてきたマリアちゃんが橘サンのシャツにしがみつくという事態が発生。
……何でも?
マリアちゃんが逃げてから、自宅にも帰らずに(帰れずに?)ずーーっと探し回っていたそうで。
自分でも引き攣っているとわかる顔で、ヨカッタデスネと告げた俺は、ゆっくり休んでくださいとお茶の誘いを丁重にお断りして帰宅した。
…………いや、一度は帰ってみましょうよ、橘サン!!